プライベートバンク利用者が香港国家安全法について抱く懸念

香港はアジアの国際金融センターであり、経済の自由度も高いです。それゆえにプライベートバンク口座を香港で開設した人もたくさんいて、2019年の民主化デモや2020年の香港国家安全法施行に絡んで、「富裕層が資金を香港から逃避させる」動きがあるとの報道も見るようになりました。果たしてそれは事実なのか、そして事実でなくとも抱いている懸念は何なのか、少し整理してみたいと思います。

資金を香港から逃避させているのは“誰か”

「資金逃避」に関する報道に欠けているのは、主語、つまり“誰が”という部分です。

基本的にはどこの誰がまで特定できる個人情報が外に流れることはありませんから、統計的事実によってか、あるいはプライベートバンカー個人のちょっとした発言くらいからしか推測することはできません。主語が富裕層だったとしても富裕層だけの統計というのはあまりありませんし、例えば銀行預金量だけを追いかけるのだとしてもそれは一般市民も含みます。もちろん大きな資金が動くことは考えられますが、一般市民のまとまった動きも大きな資金であることに変わりはありません。

また、香港の場合、住む人もプライベートバンクを利用する人もインターナショナルですから、サービス提供側であるプライベートバンクが口座閉鎖に動いているわけではない以上、富裕層の動きが一様になることは考えにくいです。つまり、例えば一部の“中国人富裕層”の例を切り取って全体の動きを説明したかに見えてしまっている可能性はあります。

資金を香港から逃避させているという“事実はあるか”

実際に香港から逃避した資金の規模を統計的事実によって知ることはできるのでしょうか。これも残念ながら難易度が高い作業です。

各銀行が開示する情報によって香港全体の預金量のネット流出入は把握できたとしても、大きく出ていくと同時に大きく入ってくればやはり動きはありません。逆に、例えばシンガポールに資金が流入したという事実があるかどうか、という点で見ても、一部にそれを指摘する報道はありますが、これも統計的事実に基づく憶測でしかなく、実際にそれが香港から来たことを証明はできないし、そしてその原因が香港の動乱にある、とも言えないからです。

資金を香港から逃避させる“動機は何か”

事実が把握できないとしてそもそも資金逃避に至る動機は存在するのでしょうか。

例えば戦時下に突入した場合、預金封鎖が起こったりすることはどこの国でも起こり得ます。香港で社会不安が起こったことは事実であり、それに対しての極端な対応として、私権の制約、財産の没収などに発展する可能性をゼロと考えることが難しいとすれば、よりリスクの低い場所への資金移転を検討する十分な動機とはなり得ます。中国大陸側では資本の流出に対して制約がかかることもあるように、法律を変えてしまえばそういった事態も起こり得ることを富裕層はわかっているからです。

香港から逃避している資金とは“何か”

「資金逃避」に関する報道に欠けている点として次に多いのが、“何に関する資金”なのかということです。流入する資金にも、預金があり、企業への直接投資があり、不動産投資があり、と様々です。そして流入だけでなく流出も常にあります。香港の不動産価格は世界でも飛び抜けていましたから、タイミングを捉えて出口に向かう不動産投資資金があることは何も不思議ではありません。

社会不安とは別の軸で、不況に突入した場合、より良い投資先を求めて資金は動くことが想定できるからですね。企業への直接投資あるいは株式市場という観点ではどうでしょう。2019年は香港でのIPOは世界一でしたし、2020年は米国上場を取りやめ香港上場を目指す企業は増える可能性があるので、株式市場全般にとっては流入が期待できます。

結局のところ、プライベートバンク利用者が懸念していることは何か

上記の点は何も香港に関する懸念を打ち消したいわけではなく、単純に憶測が飛び交っている可能性がある、過度に不安が増幅されている可能性があるということです。

ただ、プライベートバンク利用者にとって懸念がないとは言えないのですが、資金逃避自体が何も難しいことではないことを知れば多くの人は次のアクションに繋がることは少ないのです。

実際のところ、香港にいながらでも開設できる海外のプライベートバンク口座はありますし、プライベートバンク側もそれをよく分かっており、シンガポールだけでない選択肢を用意しています。ただ不安になるのではなく、取り得る選択肢を知るだけで当面の懸念は和らぎます。その選択肢が与えられない可能性を何よりも懸念していると言った方が正確かもしれませんね。

それぞれの立場で「香港の再認識」が始まった

香港の一国二制度が形骸化しているのではという声もありますが、これまで一地方都市である香港の「高度な自治」に委ねていた部分に関し、「現中国政府として香港をどうしたいか」「現中国政府として香港がどうあって欲しいと思っているか」の答えが明確に示されることになり、それは一国二制度の再認識でもあります。そして同時に各国が香港とどう向き合うか、という再確認を行うフェーズに入りました。

ある意味で2047年問題をはじめとする先行きへの憶測を排除できる大きな可能性を秘めています。歴史の遺産としてのメリットの享受ではなく、香港のその先を描く線表がようやく出てくることがプラスに働く可能性はあるでしょう。

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