ジャパニフィケーション(日本化)とは
いわゆるジャパニフィケーション(日本化)というのは、一言でいえば、低成長・低金利の定着です。かつてはジャパナイゼーションとも呼ばれていました。日本の場合、成長率が低く、物価上昇率も低いため、景気拡大局面でも金利を上げられず、したがって景気後退局面でも金融政策の手段が限られています。この状態に陥ったのは1990年代だと言われており、それ以来抜け出すことができていません。
社会自体が不安定化しているわけではないのですが、ジャパニフィケーションは年金制度への不安などを通じて、将来に対する備えの問題を提起しています。
各国金融政策の日本化が恐れられている
現在のユーロ圏と米国の状況は20年前の日本とよく似ています。低インフレとゼロ金利、そして大量の債務と不良債権、高齢化といった状況に直面しています。
金融政策においても非伝統的手法として、量的緩和が打ち出されましたが、量的緩和には量的限界が付き纏います。
また、欧州中央銀行が最も深掘りを行なったマイナス金利政策は、金利の下限を撤廃する起死回生の一手だったかもしれませんが、結果として未だに金利上昇局面には至っていません。
日本銀行はイールド・カーブ・コントロール(YCC)で各国の中央銀行の先駆者的立場を取っており、これにも各国中央銀行が追随する可能性がありますが、果たして突破口になるのか、その効果はまだはっきりしていません。
金融政策の日本化はいかにして防ぐか
量的緩和をしても、ゼロ金利政策をとっても、物価上昇率が上がらない社会にどんな手が打てるのでしょうか。
残された道は、ややありきたりですが、金融政策と財政政策の融合であると考えられます。これまでは金融政策で全ての手を打ったとしても財政政策は控えめに組まれることが多く、金融政策の限界は何度も論じられて来ました。つまり、政治が解決すべき問題になってきているわけです。
もう一つは、通貨の引き下げです。これは外国為替操作を自国のために行うという、国際社会ではいわば禁じ手になりますが、米国の場合は基軸通貨ドルを通じて、これを行う可能性が残ります。
その他の国は必然的に通貨が高くなりますから、これに対してもバランスをとるように政策をとり、結果的に打ち消される可能性があり、そうでなければ一方の国が救われれば他方はダメージを受ける、そういう政治的なゲームになるのです。
そもそもインフレは起こらなければいけないのか
持続的な社会のためにはインフレ率はプラス圏でかつ高すぎない水準が良いと言われています。そのため、中央銀行の多くは年率2%近辺をインフレターゲットとしています。
ただ、この2%がいつの世もあるべき姿なのか、改めて問われるタイミングが来ているのかもしれません。そもそもゼロ金利をとることがゼロインフレを織り込み、経済そのものが金利のない世界を前提に動き始めると、それはそれで定着していく可能性があります。中央銀行は新たな存在意義を見出さなければならない時代が来るのかもしれません。
日本化が起こったとしたらどうしたらいいか
各国で日本化が起こるかどうかの予測ゲームをしても、実際そうなるかどうかは話が別です。要は実際に日本化が起こったらどういったアクションが必要になるのか、を考えることの方が重要なのかもしれません。
日本化の最も恐るべきポイントはデフレです。日本の場合、デフレマインドが定着したことは明らかに経済回復を遅らせてしまいました。そのことを米欧の中央銀行はよく認識しており、そのような状態になれば抜け出すのが非常に困難であるとしています。
それゆえに、足元のインフレ率だけでなく、中長期的なインフレ期待の指標も重要しています。短期的にはデフレ、中長期的にはインフレであれば、ギリギリ政策としては運営ができます。
これがデフレに切り替わるようであれば、世の中全体として現金化が進み、投資活動自体も控える方が賢明ということにもなり得ます。
ただ、そのような環境でも未曾有の金融緩和を通じて資金が供給され続けた場合、やむなく投資資産に向かう資金がこれを相殺してくれるのかどうか、誰にも分かりません。
日本化した日本のゲームチェンジはあるか
いち早く日本化した日本ですが、それを脱却しようと、人力でうった政策が功を奏していないとしたら、あとは社会が劇的に変わることがあれば、日本化から脱出する可能性があります。
したがって、今回の新型コロナウィルスは急速な社会変化を促しており、長く続いた低成長、低インフレの時代を終わりに向かわせるきっかけとして機能することを期待できるかもしれません。大方の予想からは外れますが、日本化した日本はいち早く脱日本化を果たし、成長軌道に戻る、そんな楽観的なシナリオもあっても良いかもしれませんね。